スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

友人へ。

友人からメールが来て、色々と大変そうでした。
何か携帯で送ろうとしましたが、何となくここに載せることにしました。

ちなみに、ふだんの一人称は「僕」です。
なぜブログでは「私」かって?
・・・・なんとなくそのほうがしっかりした大人に見えるかなあと・・・・。うん。
______________________



最近、出勤前にクリスチャン放送のCGNTVを見て、朝の聖書黙想の時間を持っています。いまはヨブ記からメッセージを頂いています。


ヨブは潔白で正しく、神様を恐れ悪から遠ざかっている信仰深い人でした。
神様はヨブを祝福し、富みにも家族にも恵まれました。

しかし、ある時、ヨブはすべてを失います。富も家族も健康も消え去ってしまいました。しばらくヨブは信仰をもって立ち続けていました。しかし悪性の腫瘍に蝕まれ遠くから見てヨブの姿が見分けられないようになり、ひどい痛みの中で過ごすうちに、ヨブは自分の生を呪うようになりました。

なぐさめに来た友人たちは、そのようなヨブに対して、いさめる言葉をかけます。
それがエスカレートしていき、ヨブの苦難を、ヨブ自身が犯した罪の結果であると断罪をはじめます。

彼らはヨブをなぐさめに来たはずなのに、痛み苦しむヨブに対して裁きの言葉を投げかけるのです。



ヨブは誠実でした。友人たちも信仰があり、神様の教えを守る人たちだったと思います。

慰めが欲しいときの叱責は心を引き裂くものです。

信仰ある友人でさえも、苦難にあった時の友に対して適切な言葉をかけられないことがあります
”神様に従うものには祝福があり、悪に走るものには滅びがある。”
それを信じているため、苦難にあう義人を見ても、隠れて罪を犯した結果だと判断してしまうんです。

しかし、実際にはそうとは言えないことがあります。悪者が繁栄し、義に生きるものが脅かされる世間に対して、ヨブは神様に疑問を投げかけています。ヨブは言います。

・・・自分は誠実に生きてきた。弱い立場にいるものを助け、労力を惜しまず、みなのために最善を尽くしてきた。困っているものを放っておいたことがあるか、助けを必要とするものに手を差し伸べなかったことがあるだろうか。自分がなぜこうも苦しみにあわなければならないのか、自分は正しく生きてきたではないか・・・

ヨブは自分の義を主張し続けました。それは神様を間違っていると断罪することに繋がります。


人間が自分の義を通そうとするとき、誰かが裁かれるかもしれません。
人々が自分たちの正しさを証明するためにイエス様を十字架にかけたようにです。

イエス様は神の子であるにもかかわらず、人の立場で裁きをうけられました。
しかし、イエス様は自分の命をも義とせず、神様の御心がなされるようにと、最期まで従順しました。



僕たちには苦難がありますし、すべて投げ出して終わらせてしまいたい叫びがあります。良い時は続きません。心の痛みを受けなくなることはありえないかもしれません。

辛いものです。

生きるだけなのに身も心も削れていくようです。

特に人に痛みを感じる時、死にたくなることがあります。
憎しみや悪感情が行き交う中にいると辛くて心から血が流れるようです。神様に早くこの命を取って欲しいと願います。



しかし、神様は正しいのです。

神様だけは正しく、必要な出来事を通して人を育て導き守られます。
僕たちの豊かさを奪われることがあるでしょう。人と繋がる思いを崩されることもあるでしょう。健やかな気持ちを汚されることもあるでしょう。できることなら避けたい出来事です。しかし、そのような荒れ果てた出来事、荒れ狂う波の中に神様の道が通っているということも時にはあるのです。

ヨブにはその後、別の友が語りかけます。「神のくすしいみわざを、じっと考えよ」

そして神様がヨブに語りかけます。・・・誰が世界を創造したのか、星々の動きを定めたのか、すべての生き物を育み、その営みを絶え間なく続けさせているのは誰か。誰も知らないところで新しい命を形作り、それに力を与えているのは誰か・・・「自分を義とするために私を罪にさだめるつもりか」

ヨブは自分の過ちを悟り、悔い改めてひれ伏します。「あなたにはすべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを知りました」と告白します。



神様はどんなことも出来ます。正しい人を苦難の中に生かすことも、悪人の栄えを見ることもできます。

その中にあって僕たちは苦しみますが、神様は正しく事を行っています。
信じることが無理だと思えて涙する僕たちを正しく取り扱ってくださいます。


自分を信じることは出来ません。他人を信じきることも難しいです。
ですが神様だけは信じて正しいお方です。

憎しみや悪感情の中、僕たちの希望は愛と憐れみの神様です。
義を成し遂げられる完全なお方が僕たちを導いてくださいます。

冷たい闇に負けないでいましょう。
ヨハネ1:5「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

たとえいま、苦難のまっただ中にいるとしても、非難の矢面に立っているとしても、絶望の縁で揺れ動いているとしても、それでも、光は闇の中に輝いています。

主が希望です。光の道は狭く険しいこともありますが、主が一緒に歩いていてくださいます。

詩編121
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。

主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」


祈れない時も大丈夫です。僕が祈っていますから。

主の平安があなたの上にありますように。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。