スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

なれない猫

猫をね、飼っているんですよ。
うちの母が。

4匹も。

その内の一匹だけ、まったく打ち解けない。
まったくもって打ち解けてくれない。


昨年の11月から、訳あって母のところにお邪魔しているわけですが、この猫は慣れない。



他にも警戒心たっぷりの猫がいたのですが、徐々に徐々にお付き合いを深め、いまではお互いの感触をシェアし合う関係に。



彼とは良い友達です。


しかーし。その兄猫さんとは、どうも溝があるのです。


それもこれも、悲しい過去があるからなんですよ。

以前飼っていた彼らの父猫が独裁的なやつで、兄弟たちはいつも迫害を受けていたのでした。

顔を見るたびに、うなり、時には追い掛け回すという悪行三昧。
傍若無人なやつでした。


それがトラウマとなり、猫なのにトラウマとなり、人を見たら盗人と思えと、猜疑心強い猫になったという次第。


心に傷を負ったわけです。


それゆえ、母以外にはまったく心を開かず、3ヶ月経つ今も、私の差し伸べる手をのけぞって避けるわけだ。


「おいらはお前と仲良くなりたいのさ、いじめるなんて滅相もない。他の猫さんたちは皆言うが、おいらの猫マッサージはなかなかにつぼを心得ていると評判さ、どうだい、一つ友達にならないかね。」

そんな風に、何度かじっくり話しあおうとしたのだけれど、猫さんは、うんともすんとも言わず、落ちつかなげに鼻頭をペロっとなめて、後ずさりし、キョロキョロ逃げ道を探しだすのです。

一定の距離を越えて近づかれるとストレスを受けるのでしょう。
こちらに敵意がなくても、そうなってしまうのです。




そっとしておくのが一番なのかな。


人であれば、トラウマからの呪縛を解くことも不可能ではない・・・と思う。

虐げられた事実は消えはしないが、過去の体験からくる不安や恐怖は、愛によって乗り越えられると信じている。

人は。


猫はどうなのかな。


私自身も同じような姿であった。
この世界には痛みしかないという思いだった。

辛いもんだ。孤独の世界は。
絶望の暗い淵の底にすべり落ちていく感覚。

つかむものもすがるものも無い。

そびえる闇に叫び声は響くことなく、指は虚しく空をつかみ、ただ冷たく、沈黙のまま落ちる。



人は周囲の人の知らない間に落ち込んでいく。

孤独は人に囲まれた中で深くなるものだ。



神様が受け止めてくれなかったら人はどうなるのだろう?
愛がなければ、人はどうするのか。


主は私たちに寄り添ってくださる。

絶望の淵で主は私の手を握られる。
闇に落ち込む時、主は私を引き寄せる。

孤独は飛躍の時となる。主は翼を広げ、天まで引き上げてくださる。


人は適切に愛を受ける時、孤独から解放され、愛することの価値を知り生まれ変わる。



私は十字架の愛に受け止められたのだ。


さて、ごろにゃんとする君。
しまりの無い話ではあるが、正直に言って、君のために十字架にかかってもいい・・・と宣言することを躊躇する、自分勝手さが私にはあるよ。

ごめんね。たまに焼き魚あげるくらいで、許して。

ちょびっと仲良くなってください。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。