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荒野の主

今日は夕礼拝ですごく恵まれた。


神様に心を触れられるような感覚。


40日間、主は荒野で誘惑を受けた。
ルカによる福音書から見ると、三つだけじゃないんだよね。それまでの40日間、絶えず誘惑を受け続けていたんだ。

恐ろしいね。40日間の荒野の誘惑。

ここで何をしているのだろう。語る相手もいない荒れ野で何をしているのか。こんなことをしても無駄だ。早く立ち上がって宣教をしなければ。野の獣に襲われたらどうするのか・・・etc、etc

この40日の期間はイエス様に必要な時であった。なにしろそこに導いたのは御霊だったから。

ありとあらゆる誘惑を受け、イエス様は、打ち勝った。
目に見えるありとあらゆる物質的繁栄、権力、富、栄誉、健康、すべてこの世が求める偶像だ。

イエス様は目には見えない神様への信頼を証した。神様と密着した信仰だ。
荒野という孤独な場所に囚われず、神様にあって自由であった。

天まで昇るフリーな信仰。


僕だったら・・・

超堕落しただろうか。撃墜、撃沈、白旗あげて降参・・・したかもしれない。

悪魔、サタンってね、最低なんだ。
「お前、疲れているんだから、今日くらい礼拝休んでも大丈夫だよ。」と心配するふりして教会から遠ざける。本当に休むと、「何やってんだお前それでもクリスチャンか。次に行ったらなんと言い訳をするんだ。どんな目で見られるのか分かるのか。」と罪悪感を植えつける。

「一生懸命やってるな、お前すごいよ、教会でお前が一番尽くしているよ。」と努力を認めるふりをして、自尊心を高めようとする。「他の奴らは駄目だ。あの牧師よりもお前のほうが神様に恵まれている、お前こそ牧会者になるべき器だね。」と高慢にし、分裂をおこさせようとする。

自分で誘惑しておいて、誘惑されると、何やってんだと責める。踏み砕くべき罪の元だ。



信仰生活の中で

食べ物に困ることもある。
社会的地位は低く、貧困の中で辛い思いをすることもある。
怪我をしたり、思いもかけずに大切な人を失うこともある。

それで、信仰を失うだろうか。権力や富のほうが大事だと思うだろうか。人間的な生存本能をこそ優先して生きるべきだと、そう変わってしまうだろうか。


みんなの心の声を代表して私は告白したい。
「それでも私たちは神様を信じる」


イエス様は御言葉によって私たちを導いた。
神にあって生かされること。ただ主だけが私たちの神であり、主が導かれることに全幅の信頼を置き歩むこと。

私たちは日々、あらゆる誘惑にさらされている。
御言葉を知らなければ非常に無防備な状況だ。



私たちは見えない霊の救いより、見える肉の困窮を信じる。


イエス様はそうだったか?
違ったよ。

イエス様は違った。
ただただ神様を信じた。


どこまでも、死に至るまでも。


苦い杯を飲み干した。


主がくださるものに悪いものがあるだろうか?
私たちを苦しめることが神様の望みだろうか。

主は誘惑に打ち勝った。




誘惑と戦う決意を固める兄弟姉妹の上に、世々限りなく栄光と平安が留まりますように。
主の御名により祈ります。

アーメン。


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