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かみさまのお招き。

先日、友人に誘われて祈祷会へ行ってまいりました。


小さな伝道所での祈祷会です。


不思議なんですが、誘われる前日に夢を見ておりました。

前を歩くその友人の後を急いでついていく夢です。

目覚めて、なんだろうなと思いつつ、今週は夜勤なので、夜の仕事をしておりました。

夜8時から朝5時まで。


その中でメールが来たのですね。


明日、午後2時30から祈祷会があります。よかったら参加しませんかと。



ちょっと戸惑いました。午後2時30分。

夜勤の私にこんな時間のお誘いとは、何かあるのかな。


逆で考えると分かりやすいが、昼の時間帯で生活している人に、今日の深夜2時30分から祈祷会があるのですが参加しません?

と聞くようなもの。思い切った誘い。



私は夢を思い出し、これは行くようにと示されているのかな?と考え、行きますと返事。


朝帰って、生活のこまごましたところを済ませ、8時に寝ました。

で、昼12時30分起床。

いやあ、眠い眠い。とにかくぎりぎりまで寝てました。


道すがら、ちょっときついなあと思っていましたが、駅前の垂れ幕に目がいきますと、自殺予防の電話の何かで、「その気持ち、聞いてもらえる人がいる」という言葉。

私の祈りを聞いてくださる神様か、、

そう思ったらちょっと元気が出る。



さあ、電車でGO。


50分くらい。

駅で友人が待っておりました。


「疲れてるよね、ごめんなさいね」

飲み物をご馳走になる。ありがとう。


友人に合い、信仰な話をしているとやはり力が湧いてくる。


友人の車で20分くらいだったかな小さな伝道所に到着。


ちょうど牧師婦人が猫ちゃんの散歩から帰ったところ。

猫ちゃん首輪でお散歩してます。

不思議な姿。



ご挨拶をし、伝道所にお邪魔いたしました。



一戸建ての家を伝道所にしてらっしゃるご夫婦。


牧師は力強い。

見た感じは無骨で地味な様子ですが、どことなく香るユニークな雰囲気。キリストの香りか。


まず聖歌。

そして聖書を読み、牧師が講義。口語訳。

それから、祈祷題目をあげて、一人一人祈っていく・・・

・・・祈りの一体感は素晴らしいですね。

イエスの名により一つ。
御霊によって一つ。

お互いに祈りあうことは、お互いの命を背負い戦場をくぐりぬけるような感じで、強い絆が生まれます。(あくまでも個人的なイメージ)




久しぶりの祈祷会で、恵まれました。
祈りの後の交わりも心地よいもの。

コーヒーをいただきお菓子をいただき、笑顔をいただき、元気をいただきました。


小さな伝道所ですが、御業が働かれる前線基地としてしっかり信仰の根を張り巡らせていらっしゃる。

大きな教会でも小さな伝道所でも、神様の恵みに変わりはない。

それどころか、小さいところだからこそ、神様の偉大さにしっかり目を向けていこうと思えるのかもしれません。


私をさそった友人に、なぜ声をかけたのか訪ねました。何か示されたの?

・・・いや、ただずっと聖書を読んでいたら何となく誘ってみようと思ったんですよ。来ないだろうと思っていましたけど・・・

うん。


そっと寄り添う、さりげない神様のお招き。


祈祷会を通して、寝るよりも深い、安らぎと癒しを得ることができました。

肉体は疲れても、霊は回復。

同じ神様を信じるもの同士が集まり祈る場は、それだけで奇跡で、恵みで、すでに御国の内にあるのではないかと思えます。

私の祈りは小さくとも、それを聞く方は限りなく大きな方。


お招きくださった主に感謝。
思い切ってお誘いくださった友人に感謝。
力をくださった牧師、牧師夫人に感謝。



ネボケまなこに愛をこめて。

皆さんによい休みが訪れますように。


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祈りのゆくえ。

ハレルヤ!


今日は久しぶりの定時上がりで、何かワクワクしました。

特に何かするわけではないんですけどね。

1ヶ月ぶりの定時退社。





夜勤帯でマシントラブルがあって朝からメンテナンスが続き…気がつけばもう5時。

結局、昼勤では動かず「じゃあ今日は定時で」となった次第です。


しかも今日は給料日!

嬉しさ2倍!




さあこんな絶好の遊び日和にわたくしは何をすると思いますか?

友達と食事?買い物?映画?

帰る道すがら、あれやこれや遊び遊びと考えたすえに、どこに行き着いたのか?



僕は今日、、






祈りの日を過ごしました。








もうね、最近祈りが足りずふらふらしていたんです。


よっしゃ絶好の祈りチャンスだ!と家に帰り服を脱ぎ捨て、裸で祈りました(笑)!

お風呂でね(o^∀^o)




ビニール袋に入れた携帯電話でワーシップソングをかけながら、祈りです。



・・・・・正直、いつの間にか私は傲慢になっていました。

自分を高いところにおいて世界を見下ろしていました。


神様に対してもそうです。


私の思いはこうでした。

「こんなに苦労してきたのに、神様はなぜいつまでも辛い環境に私を置くのか。」

「いままで信仰生活の中で苦しみが多くあった。重荷を下ろすどころか、神様に対する不信という重荷が加わったようだ。救いとは何か、なぜ、いまもなお苦しみに追われるのか。」

「熱心に信仰の人生を生きてきた。しかし神様はこの辛い環境から救い出してはくれない。なぜだ。なぜだ。」

「私は神様のご計画から外れている存在ででもあるのだろうか。」

恨みつらみ、不平不満の嵐に溺れそうになっていたんです。



私の信仰的行いによって神様から報いがあると、行い主義の律法的な姿になっていました。

自分のがんばりによって、ますます神様から恵みをいただけると思っていたようです。

自分の働きに対する祝福というのは、恵みではなく報酬です。


イエスさんが示した福音は人の働きによらず、一方的な神様の愛によるプレゼントでした。



私はもっともに基本的なことを忘れていたんです。


私の姿は、神様から恵みを引き出すための働きになっていて、いつの間にか、無から引き上げてくださった神様への感謝や、単純に生きていることへの喜びや、自然・命に対する感動を忘れたものになっていました。


いつの間にか、ただ生きることを喜ばず、どう生きるかにこだわっていたとでも言いましょうか。

神様によって生かされていることへの感謝ではなく、自分で生きることをがんばっていました。


がんばろうとするあまり、神様を引っ張っていこうとしていたようです、、




祈りを忘れると、自分中心になっていきます。


今日、祈ってよかったです。
知らぬ間に高慢になっていた私でした。


祈りの中で、「確かに神様は愛だ」と感じました。

こんな私なのに、それでも変わらず、いいえ、こんな罪深い私だからこそもっともっと深く愛してくださる、神様の豊かさに包まれました。




祈りを聞いてくださる方がいます。

私を憐れみ、驚くほどの辛抱強さで、待っていてくださる方が。



立ち止まり、耳を傾けましょう。

その方は語り続けています。


祈りとは、私の願いや思いを神様に向けて投げかけることではない。
祈りとは、神様の願いや思いを受け取るために心を明け渡すことだ。




私の望むところではなく、あなたの御心のままに。



もっともっと祈りたい。





ともに祈るあなたへ。
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5月最終日。

5月最後になりました。

5月は就職や賛美礼拝など、転機となることがありましたね。

仕事は・・・・まだ慣れていないから色々と大変。
覚えることも多くあり、立ち仕事で、毎日残業。
気合が入ります。

賛美礼拝では賛美できる恵みにひたりました。喜びは自然に歌になりますね。礼拝は終わったけど、どうしよう口から賛美が漏れる漏れる。そんな一日でした。

実はちょっと、欲がでてきまして。。
一緒に賛美をしてくださる方いないかなぁと。

「誰か~っ!一緒に神様を賛美をしよう~~っ!!!」



・・・というわけで、6月は賛美の友と出会えるように祈ります。


そして、新しい月に向け、感謝と悔い改めの祈りを。

いつも変わらずにこの小さきしもべを育ててくださりありがとうございます。罪に走りやすい私を、転ばぬように支えてくださり、愛の御手の内にお守りくださり感謝いたします。

お許しください。あなたから離れ自分の欲望に近づく私を。哀れんでください。悪いと知りつつ、改められない自己中心的な姿を。

証すべき時にあなたを証せず、自分を前に出して、信仰を曲げる私にあなたへの畏れと謙遜と従順をおあたえください。

至らぬ私の行いにより、誰かを知らずに傷つけていましたら、どうかそのことに気づかせてくださり、行いを改めるチャンスをおあたえください。また、私により傷ついた者の心を慰め、より強い心に回復してくださるようお願いいたします。

私にとっての新しい月があなたの満ちる月となりますように。

誰かと恵みを分かち合える月になりますように。
憎む者をも祝福できる月、あなたの愛を実践する月になりますように。

最高の愛の語り部であり、実践者であったイエス様の歩みに、この者の足が少しでも重なっていきますようにお導きください。


あなたによって生きることの喜びを6月、ますます強く叫んでいくことができますように。

5月を共にしてくださったことを感謝いたします。与えられる日々の糧をありがとうございます。

愛と真理の我が主、尊きイエスキリストの御名により、お祈りいたします。


アーメン 

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春の祈り。

信仰の春。

神様を信じるあなたに信仰の暖かな春が来ますように。

信じるあなたを中心に愛の花が咲きますように。

あなたを通してこの地が真の春の訪れを感じ
あなたを通してこの地に愛が芽吹き
あなたを通してこの地が主の喜びに満たされますように

あなたと共に信仰の春を迎えられますように。



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愛するということ。

私の願い。

あなたが見るものを見。
あなたが聞くものを聞き。
あなたが語ることを語り。
あなたが背負われたものを背負いたい。

あなたが感じられたように、十字架に刻む愛を感じたい。
あなたが赦したように、私も敵を赦したい。
あなたが生きたように、私も誠実に生きたい。

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」ルカ4:18-19

そのために命を投げ出された。
あなたはそれが必要だったことを知っていたのでしょうか?
あなたはそのために苦しまれることを理解されていたのでしょうか?

あなたはそのようなことをしてまで、救いに導く価値が私に、私たちにあると信じていたのですか?


愚かなあなた。
あなたは命を捨てました。


私はその愚かさのために、全人類の前で宣言します。

私は神様の愚かさを誇ります。
愚かな私を救うために、自らの命を差し出す神様。
罪のために死んだ私を救うため、最大の犠牲を払われる神様。

これほどまでに、私たちを愛する神様が他にありますか。


絶対に無い。


私たちの神様が唯一、絶対の救いです。


あなたのまなざし。そのまなざしが、あなたを信じる全ての者に宿りますように。
あなたの声。その声が、あなたを信じるすべての者に宿りますように。
あなたの信仰が、あなたの愛が、あなたの祈りが、あなたを信じ御言葉に生きるすべての者に宿りますように。



愛の勝利を感謝します。
世に来られた神の、十字架の愛を、生涯、仰ぎ見ます。


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