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東京都美術館。

上野に行ってきました。
上野駅構内のオブジェ
↑駅構内のパンダオブジェ。

目的は東京都美術館。
障害のある方たちがアート活動をしている「工房集」からよりすぐりの作品達の展覧会です。先月リトミックで展覧会のチラシを頂いたので、さっそく初日に来てみました。


上野は久しぶり。
何故だか公園口改札からもう人人人人・・・の波が出来ています。
「今日は何かあるのかねぇ」と人ごみを避け、木陰の道をテクテク。
日差しは強くてジリジリ焦げそうな陽気。

目的の美術館に着くと、、何?どうしたのあの行列は?そこに天国があるの?
イエス様が来られたの?ってぐらい沢山の方が並んでおりました。


私は知らなかったのですが、9月9日現在、東京都美術館ではフェルメールさんの「真珠の耳飾りの少女」が展示されているようですね。案内の看板を見ると60分待ちの行列でした。恐ろしい。


美術館での展覧会は一つだけだと思っていたので「あれっっ作品展って今日じゃないのかな、何か勘違いしていたのかな」と不安になりましたが、列の近くにいた案内係の方に伺うと、しっかり展示会は行われているそうなので、「真珠の・・・」を待ち焦がれている行列を尻目にするっと館内へ。

館内にも長蛇の列が出来ておりました。フェルメールさん大人気。



エレベータで公募展示室1Fの奥へ行くと、やっておりました。

「工房集作品展『生きるための表現』」

結構たくさんの作品があって、どれもこれも個性的。
個性的すぎて思わず笑みがこぼれるものから「いやすごい!」と感動する作品までたっぷり堪能できました。ボールペン絵、マーカー、油絵、クレヨン画もあれば木や布、ダンボール、ステンドグラスなどの立体的な作品もあり、紙粘土とか、かっこいい飛行機とか、ほんとかっこいい。

神様のクリエイティブな要素が、一人一人の感性の中にたっぷりと溢れ出ている感じです。見ていく内に遊び心を刺激されて、何だか自分も一緒に作りたいという気持ちにさせられました。

今回は、特に心に残る作家を三人投票するという事をしており、一位の方は個展を開かれるそうなので、ちょっとわくわくしながら選んでいきました。

「この人良いな、ああでもこれすごいな、あれも良かったしな、いやみんな良いな」と楽しく悩みました。


私の個人的なお気に入りはというと「スカイツリー」と「・・・出来ちゃったタワー」でした。名前忘れちゃった。

この方の作品はそれ自体がすごく楽しそうです。


ほぼ全員の作品が、大人びたそれっぽい芸術作品ではなく、ありのままの素直な気持ちが発露した楽しく美しい塊(よくわからない表現で申し訳ない)という感じでした。

行けて良かったですね。心が素直にさせられる作品に出会えて楽しみました。



さてさて神様にとっての私たちには、どのような思いが注がれているのでしょう。
ありったけの愛、おしみない恵みが溢れるような存在としてあるでしょうか。

喜びがにじみ出る、見ているだけで楽しい、愛おしく思える、そんな存在としているでしょうか。


落ち込んでいる方の心を照らすような存在。うつむいた顔をすっと引き上げる存在。神様の愛に満ちた祝福の源として、出会う方々を潤す存在。イエス様に似たもの。

そのような喜び溢れる存在があなたであり、そのあなたを神様は大切に思って見つめておられます。
神様のキラキラした目、愛に満ちた優しい眼差しが注がれているあなたに今日も明日も祝福がありますように。



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愛のかたまり。

最後の更新から・・・・何日?


まあ、いいじゃない。そんなこと。
それよりも大切なのは私がいてあなたがいて、神様が愛してくださっているってことだよ。

みんなアーメンです。



さて、近況報告。

引越しが決まりまして、小田原からちょっと離れることになりました。
場所はまた、後ほど。



いやあ今日は暑かった!小田原35℃だって。

そんな暑さの中、今日はちょっと知り合いのやっている保育活動のお手伝いをしました。

障害を持ったお子と一緒に歌ったり遊んだり。

楽しかった!

みんなカワイイ!!!

いやあ子どもっていいですね、本当にどの子もみんなカワイイ。

無邪気な笑顔に、これでもかってくらい元気をいただきました。




彼らを囲む世間は、色々と動き回り何かとスムーズに行かないこともありますが、お子たちはそんなの関係無く、今日の自分の命を懸命に生きております。


親御さんは色々な苦労を背負っておられるのでしょうし、成長するにつれ、これから沢山の試練に立ち向かっていくことになるでしょう。


まだまだ、誰もがみな共に支えあい暮らしあう社会は成熟にはいたっておりません。



愛しましょうね。
私たちの大切な子どもたちを。


いまをいきる世界中の子がすべて私たちの子です。
守りましょうね。


できれば彼らの心が傷つくことのないように。
もし傷ついた心があればそれを癒すことができるように。


お子たちのまっすぐな愛に応える者となりましょう。



まずは身近に愛の実践。
あなたのクリックを用意する私の愛。
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夢のコンサート

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神様の一滴

牧師さんが言っていた。

「満たされる」とは、餓え乾いているときに、「一滴」を得ること。



一杯になるのではなく、一滴。ただ一滴を与えられること。

それが「満たされる」ということ。


いいなあと思った。





神様が下さる一滴。それだけで心が満たされ、喜びが溢れる。


待ち構えている困難や、苦しい出来事、それ自体は無くならない。
しかし、誰からも見放され、人生は苦しいものでしかないと感じる心が、解かれる。


神様がいてくださる。


転地万物を造り、全ての命をはぐくみ、世界創造の歴史の始まりから終わりまで、愛の秩序をもって導かれる方、何ごともその目から逃すことはなく、何者もその手から零れ落とすことはない。その方は愛によって全責任を負い、私を守り導いてくださる。


そのような方に私は生かされている。




困難がなんだろうか。悲しみがなんだろう。
私には神様がいてくださる。同じ神様を信じる仲間がいる。



ぶわっと湧き出てくる恵み。ハレルヤ!素晴らしい主!


いま抱えている全ての問題が消え去り、困窮のすべてが満たされるわけではない。
しかし、苦難によって磨り減った心が、愛によって、回復する。立ち向かう勇気を得る。


聖句の一つで。賛美の一つで。友の祈りで。
ふと示される通りすがりの一言によって。

私たちは満たされる。


たった一滴。
それだけで私は、一歩を前に踏み出せる。


たった一滴が私たちを満たす、この神様の豊かさに震える。



多く与えてくれるから素晴らしいのではない。
わずかなもので多くを満たす、その優しさ、やわらかさ。
そこに、癒されてしまう。


感動的だ。私たちを思い、私たちのことを考え、最善を尽くしてくださる神様の愛って。
私が何者だからといって、心を留められるのか。
どえらい宝だよ。主の愛って。


私も、真実の愛がこもった一滴を注ぐ者でありたい。
信じる者みんなで注ぐ一滴は、この地を神様の愛で覆い尽くすと思うのです。


賛美
「主の愛が今」
主の愛が今 あなたをつつむ 打たれた傷も 癒される 主の愛が今 あなたをつつむ 嘆き悲しみ 逃げ去る 傷ついた主の 愛の手が動き あなたの上に とどまる 全能の主の 愛の手が包み あなたの心を癒される



地に落された一粒の麦によって、私たちはすでに満ち足りている。
十字架の愛は切なく、身にしみてありがたい。

感謝を皆とともに。


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ごちそうさまでした。

教会の仲間と3人で食事に行った。


一人は音楽的な活動している温和な方、もう一人は最近教会に来始めた方。
そして私。年齢が近いので、仲良くなった。

キリスト教のここってどうなの、教会について思っていること、日本の現状、やりたいと思っているミニストリーのこと、大きなことから、も~っと大きなことまで^^いろいろ語りあいました。

最高ですね。神様の話って。

こんな恵みあるよ!おお、私もこんな恵みあった!
こんなすんばらしい神様の働きかけがあったんだよね!



お互いに恵まれたことを証しあい、味わい、しっかり満たされました!
主を信じる兄弟と、それぞれに大好きな神様の話をするって、えも言われぬ喜びです。


そして、最近神様を知ろうとしている方に、すごいでしょ私らの神。こんな愛ってありえる?こんな愛されてるのよあなた。
と、自慢することの楽しさったらもう・・・・

嬉しくって、なに食べたかあんまり覚えていないです。


その中で話された、ペテロのお話に感動

ペテロってイエス様知らないって嘘ついて逃げるんだよね。
本当に情けない、どうしようもない姿。

イエス様に「お前は三度私を知らないと言う」そういわれて「御一緒に死ぬことになっても、ずぇえったいに知らないなどとは申しません!!!」

そんな感じに熱く宣言しておいて
イエス様が捕らえられ、「あんたイエスと一緒にいたよね?」と言われると・・・

「知らない知らない!俺そんな人知らないよ!」


・・・ああ、ペテロ。なんたる卑怯な姿。
他人事ではないこの感じ。

「迫害を受けても、何があっても主と共に歩む!十字架のあるところでこそ満たされる命があるのじゃぁ~っ!」とまあ、意気込んでおきながら、あちらこちらで罪を犯す自分の姿を重ね見ると、まったく。。

荒野でつまづく私にとって、ほんとうにシリアスな問題。

そして死なれるイエス様。


ペテロにとって、ものすごい罪責感。自分の罪の姿に責め苛まれることだったでしょう。


こんなペテロにどういう言葉をかけられるだろ。

自分のあまりの醜さにショックで茫然自失。しゃくりあげて泣きまくる。
あまりの恥ずかしさに、自分で自分が受け入れられず、死んでしまいたくなったのではないか。

イエス様はどこまでも優しく、心を包まれる。
決して消えることの無い罪責感を負ったペテロ。
どんな言葉をかけるかで、ペテロの心は壊れてしまうかもしれない。
もう二度と立ち上がれない暗く深い穴の底に落ちこんでいったかもしれない。

私を愛しますか?

何をしたのか。行為を問わない。



私を愛しますか?

ペテロは決してイエス様を恨んだり、嫌って知らないと言ったのではなかった。
ただ怖かっただけだ。

愛が消えたのではなかった。


イエス様はそのことを知っている。

私を愛しますか?



繊細な問い。

人は愛で変わる。


最低の卑怯者。臆病な弱虫も神様は救われる。
主に不可能はない。


そんなペテロが初代教会を建て上げた一人となり
こんな私も救われました。

ビフォーアフターの劇的変化。

いやはや、驚くばかり。


というわけで、いくら語っても神様のことは語りつくせず、それでもどっぷり恵みに漬かり、そんなこんなで恵まれました。
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