スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ペンテコステ。

今日は小田原の教会にいってきました。

キリスト教三大祭の一つであるペンテコステが今日だった訳です。
「ペンテコステなんてヘンテコっすねー」とみなさん言いたいのだね。うんうん。

これは復活祭(イースター)から数えて50日目に祝われるお祭りです。ペンテコステって50の意味があるようです。

イエス様が十字架につけられて復活された後に、弟子たちの前に表れて約束をくれたんですね。

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」


「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」


そして、皆で集まって祈っていたこの日、約束していた『聖霊』が弟子たちに下りイエス様の言葉通り力を得て宣教が広がっていきました。これが教会の始まりとして、教会の誕生日としても祝われます。

この時、弟子たちは神様の力を受けて、さまざまな国の言葉で神様のみわざを語りだしました。まさに、全世界に福音が述べられることを象徴するかのような出来事ですね。

その日、集まった人びとの前でペテロさんは説教をして、彼の言葉を受け入れた方々が一度に3000人!彼らは洗礼を受け弟子に加えられました。

ハレルヤ!

ペテロの声は今も、私たちに響いてきます。

『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。』

おうまいがっ。

この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々・・・

ここにですねぇ

私たちが繋がって見えるんです。


遠くにいる人びと、、ペテロさんの時代からは、けっこう遠いかもしれませんが、確かにその言葉が私にも響いたんです。

悔い改める事ができた方は幸せです。
イエスキリストの名で洗礼を受けられた方は幸せです。
聖霊を受けられた方は幸せです。

あなたと共に神様がいます。



聖霊に満たされるとは、ただ恵みを感じるという事ではありません。
大胆に福音を「神のことば」を語り始める事でしょう。

語らずには居られない神の恵み。
伝えずには居られないイエスの言葉。

聖霊に満たされて初めて宣教が命を得た働きとなる、まさに教会の誕生。イエス様の言葉を伝えるということは、創造主の働きに繋がるものです。

イエスを救い主と信じ生きるすべての方々、ともに聖霊に満たされ、神様を賛美し、誉れあるそのみわざをのべつたえていきましょう!



さて、礼拝の後で食事会が開かれまして、いっぱい食べました。教会のおばさま方は料理が上手でいろいろと食べさせてくれます。
ペンテコステ

聖霊に満たされるこの日、私のお腹も満たされる。一人暮らしの貴重な栄養源がここにあります。ありがたや。
スポンサーサイト

夢で教会に導かれる。

先日、久しぶりに行ったその教会は神様の導きがあり通うようになった教会です。
祈って示された教会です。

カルトと疑われる教会を離れてからしばらく、ネットで礼拝放送を見て過ごしていました。ある日「なぜ教会に行かなければならないのか」というメッセージに揺さぶられました。

「でも神様教会っていっぱいありますよ。どこへ行けば良いんですか?」と訴えて、祈りに祈りました。

夢を見ました。

自分が住んでいた街を鳥瞰図?と言うのでしょうか、少し高く見下ろし、家の近くから矢印が・・・「↑ドーン! →ドーン!」こんな感じに出る夢を見ました。

分かりにくいかな。
  →
 ↑
 |


そんな夢。

ガバっと起き上がり、「神様なんですかそれ!?」と。
「そこに何かあるのですか???」とまあ、何だか気になりますよね。

ネットで調べましたが、その↑→のあたりに教会が見つからず、以前から何となく気になっていた教会が・・・
  ー→
 ↑


の方向にあるわけです。

「神様、ちょっと間違えていませんか?こっちじゃないですか?」って言ってしまいました(失礼な)

でも行かないと後悔しそうだから、次の日曜日、だいたい、その矢印らへんに10時30分くらいに着くように(礼拝はその時間に始まる事が多い)出発してみました。

行く先も分からず、どこへ行けば良いのかも分からず、何となくそっちら辺みたいな方向へ歩いていく不安感。

テクテク・・・私は何をしているんだろう・・・ウロウロ
テクテク・・・私は馬鹿じゃないだろうか・・・キョロキョロ
テクテク・・・神様マジで?神様。。。。・・・トボトボ




大きめの道路に出て、じゃあ・・・ここを右だ、と歩くと付近の地図看板がある。
「・・・あれ、、、教会?」

何か教会があるらしい。それっぽい。やばい。マジで?

歩いていく。テクテク。交差点で信号が赤、立ち止まる。

ふと、右の建物をみると・・・看板「○○○○教会」ドン!

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオ!!!!!!!あったああああああ!!!!!

まじでまじで!?どうしよ!教会だよ!なんで?どうすれば良いの?行くの?入る?というか入れる?・・・あ、ちょうど礼拝時間みたいだ・・・・やばい。。うわあああ!

という訳で夢に見た矢印通りの場所に教会があったとさ。
扉をあけて、受付のところで「あの初めて来たんですけど・・・」と話し、聖書と賛美歌集を受け取りました。

「礼拝の後で初めてこられた方として紹介しても構いませんか?」と聴かれましたが、なんだか不安感いっぱいだったので「いえ、あのすいません、今日はちょっと来ただけなので・・・」みたいなことを言って逃げる。

さて礼拝。

特にメッセージにビビビンッとくる事も無く。祈りや賛美に響くことも無し。

礼拝後のお茶の時間にも残りましたが、特別な出会いも、神様の働きかけも感じず。。帰りました。

帰り道すがら「神様、本当にここですか??何にも感じるものがなかったですよ???」と迷い心で祈りつつ帰宅。

そして、その日、祈って眠り、、再び夢を見る。

その教団のマークが書かれた扉が、真ん中からパカッと開かれました。

ぱっと目が覚めて「ああ、神様が開かれるなら、だれも閉じることは出来ない」と思いました。



それから通いだした教会です。でもなにか恵まれたわけでも特別なものも無く、うーん。。。神様なんで?というような気持ちで通っていました。
都内に住んでいた頃でした。



そしてさらに導きの続きがあります。

半年ほど通ったところで、仕事が変わり東京から新潟にいくことになったのです。

3ヶ月ほどですが教会から離れました。
4勤2休の交代勤務で日曜日も仕事になることが続き、教会に行かなくなりました。


そして今度は、なんやかやで小田原の母の所に行くことになります。
また日曜日が休みの仕事になったので教会を探しました。

「前の教団の教会があれば良いけど、近くにあるかな・・・あるわ」

という訳で、日曜日に言ってみる事にしました。


教会ではホームカミングデーというイベントをしていました。
普段教会を離れている人の事を覚えて祈ったり、来やすいようにイベントをする日で、その日は賛美集会でした。

久しぶりに賛美ができて嬉しかったですね。でもそれ以上に、後からすごい日に行ったものだと感じました。

参加しながら「こういう集会を一ヶ月に一度くらいでやっているのかな?たまたま、今日がその日なのかなあ」とぼんやり思っていたのですが、一年に一度の日だったそうです。

仕事をやめて、小田原に来て、教会を探して、日曜日に行ってみた。
『たまたま』その日がホームカミングデー。

仕事を止めた時期、小田原で落ち着き、教会に行こうと思った時期、行ってみようと計画した日、すべてのタイミングがあり、ホームカミング。


礼拝から離れていた私への、神様から「お帰り!」というメッセージだと信じています。

そんなこんなで再びその教団の教会に通うようになったわけです。



韓国系の良くも悪くも熱心な教会に身を捧げていた自分としては、淡白すぎてあまり恵まれることが無いのですけどね。

信仰的にも牧師さんとは違う部分があって自分の中ではそれは大きなことなんですが、神様がその教会に働きかけていることは確かなので傷つくことや疲れることがあっても期待をしてしまいます。


という流れもあり、何となくその教会には、神様の何かしらのアクションがあるような気がしてまだ繋がっています。

メッセージでは力を受けることがほとんどないので信仰を支える糧をいただけず、飢え渇く事がしばしば。それが辛くて他の教会を探したりしたものです。

いまもまだ分からない。
神様が示す道はまだそこにあるのか、それとも、新たな地なのか。



放浪は続きますね。

小田原の教会。

4月も後半ですね。

まだ、寒い。


そのくせ部屋ではTシャツ一枚で過ごしていたりする。
アイスを食べたりもする。
そして寒いといったりもする。

みなさん風邪を引かないようにね。


先日は久しぶりに小田原の教会に行ってきました。
何ヶ月ぶりだろうか。

慣れた教会というのは居心地がいいものです。

礼拝は式文に従って進行していくのですが、以前よりも流れが自然になってきたように感じました。

礼拝前に祈り会をするようになっているし(参加者は少ないようですが)人に対しての儀式ではなく、神様に捧げる思いが礼拝に現れてきているのかなと思います。


礼拝後、奉仕をしました。

教会の横手に20年もののビワの木が生えているのですが、枝振りが良く教会の十字架が隠れるようになっていたため枝を伐採したそうです。

それを回収してもらうために、規定の長さにカットする作業をしました。
手でバキバキ、チェーンソーでウィンウィン、思わぬ運動になりました。

ちょうど男手が必要な日に、タイミングよく教会に行く。神様に呼ばれる。そういう感じです。


一仕事終えた後で、牧師さんとお話をしました。
家から近くて、落ち着くことが出来る良い教会が見つかるといいねと信仰生活のことを心配してくれました。

いろいろとぶっちゃけました。

私が教会に繋がりきれない理由は過去の信仰歴があるからなんですと。

カルトと疑われた教会に行っていた事、実は、私が以前結婚していて、しかも離婚したことなど、これまでは話さずにいた諸々の出来事や、感じていたことなどを話しました。

ブログやyoutubeやニコ生で自分のことを表すにつれて、話すことに慣れてきたようです。

牧師さんは特に驚いた様子もなく、受け止めてくれました。


どうかな。しばらくこの教会にまた通うのかな。
分からない。

熱く信仰に燃える・・・という姿は皆無の教会です。
なぜこの教会に行くようになったのか。

詳細は次に。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。