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テゼ 黙想と祈りの集いのこと。

長い間ご無沙汰しておりました。いつの間にか5月ですね。
いろいろありましたが、とりあえず今日のこと。


今日、テゼの歌による「黙想と祈りの集い」に参加してきました。



最近、教会のイベントに参加していないなあと思い、近くで何かイベントが無いか探してみたのです。するとテゼ関係のブログに行き着きました。

集会の予定カレンダーを見ると、5月9日の19時から20時30分に日本聖公会藤沢聖マルコ教会で集いがあるようです。

聖公会は初めてでした。ただ、とにかく神様を賛美する空間に身をおきたいと思いました。

ずっと昔、四谷のイグナチオであったテゼの集いに参加したことがあります。神様の御元にある静寂と賛美の美しいハーモニーに心癒されたその時の恵みが思い起こされ、ちょうど休みだし、自転車でいける距離だから行ってみようと思った次第です。



ちなみに、youtubeでテゼを検索するといくつか見つかるので興味がある方は検索してみてください。雰囲気が伝わります。




教会につくと入り口には誰もおらず、案内の紙等も無く、入って大丈夫なものか迷いましたが、とりあえず入ってみると、礼拝堂からどなたか来られました。

私「すいません。テゼの集いはこちらで・・・」
どなたか「はい、こちらです。ようこそおいでくださいました」

その方は用事があって出てこられたようでそのまま礼拝堂とは反対側へいかれました。




ということで、礼拝堂に入ると、長椅子が並んでいます。ちらほら人が座っています。照明が落とされた天井の高い綺麗な礼拝堂の中、皆さん静かに、それぞれ黙想の中にいるようでした。



私は久しぶりの教会で、心が静まるというか、神様と自分の間にさえぎるものが無いような心持ちになり、素直に、泥臭く子どもじみた思いを吐き出すように祈れました。



さきほど、たまたま迎えてくださった方が戻り、話し始められました。
「少ない人数なので、皆さん、前に集まりませんか」
どうも集いの代表の方のようです。




集会に参加されたのは、全部で10人満たないくらいでしょうか。
小さな集いでした。しかし、とても誠実な集いという感じを受けました。


テゼの短い賛美があり、聖書の御言葉があり、小さな祈りがあり、静かに神様を思う時がありました。
テゼの賛美は一つ一つがとても短く、繰り返し繰り返し歌うことで会衆が一緒に歌えるようになっていきます。


楽器は、ハープだったかな。笛のようなものもありました。終始、目を閉じて祈りつつ賛美していたので、よく覚えていません。



演奏者と賛美リードされる方々の声についていくように不確かながら自分も声を出していく流れは、先を歩むイエス様の足跡をたどるような心地です。

半歩後から音についていく流れが、徐々に旋律を覚えることで、そば近くを歩むことが出来るようになり、一体感に包まれます。

覚えたからといって少し声を張ると、自分の声が邪魔になり、美しく静かに流れる空気が乱されるように感じます。陰としてそっと歩むということを思います。

純粋に神様を賛美することは、喜びや激しい信仰の思いを超えて、ただ静かに深く絶え間なく、心臓の鼓動のように感じられるものなのかもしれません。



神様を賛美するためにあるいのちを感じます。




詩篇が読まれました。

1編
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。



・・・私はずいぶん、御言葉の泉から離れていました。
世の流れに染まり、神様の恵みを忘れ、祈らず、礼拝せず、罪に走り、御言葉を遠くへ置く日々。



私は渇いていました。



御言葉を受けて、神様の前で自分の情けない姿を吐き出します。



いくつか賛美があり、また聖書が読まれます。


ヨハネ14
1 心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。




悔い改めと癒しと、神様の愛は果てしなく、私の小さな器を満たしてあふれさせます。


つい先日、思いが囚われる出来事があり苦しんでいたのですが、御言葉がせまります。神様の御手は大きい。心を騒がせず、神様を信じ、イエス様を信じる。すべてに及ぶ主の御心を感謝する・・・そのように、心を解くことができました。

集いはあっという間に終わりました。いつまでも賛美し続けていたい思いでした。この集いに参加できたことは神様からの愛の表れなのだと信じます。

神様からずっと離れて過ごしていたので、私の崩れた信仰にとっては、ほんの僅かな回復かもしれませんが、いのちを繋ぐ大切な一時でした。


救いは主にあります。

私たちの父なる神様がほめたたえられますように。




エペソ人への手紙 1章

3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
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コマ遊び。

新年あけまして・・・もう二週間以上たっておりますが・・・おめでとうございます。ようやく2013年初更新!いえー!

14日の大雪から、ここ数日は非常に寒いですね。口を開けば「寒い寒い〜><」と言っている気がします。そしてすべての行動が寒さとの戦いです。

「そろそろ夕食の支度をしないとな・・・でも寒い」
「洗濯が終わった干さないと・・・でも寒い」
「トイレに行きたいな・・・でも寒い」

暖かい飲み物を入れようとお湯を沸かすのですが、、
「お湯が沸いた・・・でも・・・寒いから行きたくないなぁ・・・」

軟弱な精神がすくすくと育っております。





さて今回は姪っ子とコマで遊んだ話をしましょう。

CDの穴にアルミで出来ている軸をつけるとコマになるというものを手に入れました。
これです。
軸



そして某100円ショップでシールと色輪ゴム。文具店でマーカー。電器店で50枚セットのCDRを購入しました。

シールはこんなん。
シール


ぺたぺた。
シールはり


じゃーん。
コマ完成

姪っ子下の作品。




レッツコマ。
こままわし
うーん綺麗!





おじさんは見本を参考にして作ったのでうまいこといきました。
おじさんこま

オジ3コマ回し

螺旋がいい感じ。






マーカーで色々書いたり、回して色輪ゴムを載せたり、色々な広告をちぎって穴をあけて載せてみたり、楽しみました。おじさんが主に楽しみました。楽しみすぎて姪っ子上の作品を撮り忘れるくらいです・・・(ああああああごめんよおおお)


姪っ子上はCDにお絵描きするように模様を付け天地があります。
姪っ子下はCDの円に合わせてくるくる貼っていきます。
個性ですね。いろいろ楽しいですね。


姪っ子たちはコマ作りよりも、ただシールをはったり、輪ゴムをバラバラまくのが楽しそうでした。もう少し大きくなってからの方が模様を色々考えたり工夫していく楽しさがあるのかもしれませんね。大人子ども年齢毎に様々な楽しみ方があるものです。






コマというのは何だかずっと回していたくなるものですね。姪っ子たちがテレビでアニメを見ている間、私一人で4個くらいのコマをずっと回していました。回っている姿をじーっと眺めます。安定して回る姿はなんでしょうか嬉しい感じがします。やがてゆらゆらし始めカラカラカラーと止まるたびにまたシュッと回してあげます。結構よく回るんですCDコマ。

くるくるくるくる止まるたびに何度も何度も・・・。




神様の手にある自分を思いました。


私はどんな回り方をしているのでしょう。
ふらふら安定しない回り方をしているのでしょうか。。

ゆらゆらカラカラ止まるたびに、神様はもう一度、やさしく力をこめて回してくださるのでしょう。



神様はその手で私を作ってくださいました。


どんな色にしようか、どんな模様にしようか、一つ一つを大切に一生懸命に考え楽しく嬉しく作ってくださったことでしょう。


他に一つとない私模様にしてくれました。


その手に真っすぐに身を委ねて長く良く回るものでありたいです。



姪っ子たちがどのような姿、どのような模様になっていくのかまだ分かりません。暗い色が付くこともあるでしょうし、輝くばかりの明るい色も付くでしょう。一つ一つの思い出を積み重ね周り巡る時に、はじめてその深み、神様が与えてくださる彩りの豊かさが見えてくるのだと思います。



それぞれ特別な、他に一つとない模様が私たちには描かれています。姪っ子上下を見守るおじさん以上に、遥かに偉大な愛の眼差しで皆さんを見守る神様が、いつもそばにいてくださることを感じられたらいいですね。



美しく彩られた人生の豊かさに目を開かせてくださる主イエスキリストの救いに感謝し祈ります。



12月。

もう少しで2012年が終わります。

休みに入ってからも掃除や買物で何かと忙しく落ち着かないまま、気がついたらあと数時間で年越しです。

仕事納めは28日だったのですが、ちょっとしたトラブルのため急遽29日も出勤となり慌ただしかったですね。

振り返ってみると仕事中心の一年だったと思います。
何かと忙しくしておりました。

ブログをもっと更新したかったんですけれど、なかなか筆が進まず、書きたい事ばかり溜まってしまって放置するということが多くありました。短くていいのでちょくちょく更新するほうが良いとは分かっているのですが・・・モノグサな私です。



とりあえず思いつくだけ12月のまとめをしてみましょう。
日付が変わる前の滑り込みです。




12月はクリスマスのリトミックがありました。歌のお兄さんをしてまいりましたよ。サンタの格好をすることなってしまいましたが、私はあまり体格がよろしく無いため貧相なサンタだったかもしれませんね。
クリスマスということでクリスチャンの特権をフル活用し賛美歌を歌いました。「諸人こぞりて」「牧人ひつじを」「きよしこの夜」やっぱり賛美は素晴らしいです。そして今回は「君は愛されるため生まれた」を歌のプレゼントとして贈りました。子どもたちの真ん中に主がおられます。父なる神様の愛を知って欲しいですね。






12月は、あと、横須賀に同僚のライブを見に行きました。始まるまで観光した時に十字架があったので写真に撮りました。横須賀学院高校の写真なのですが、あとで気づいたらいい雰囲気だったので載せておきます。

横須賀学院


空がハートです。神様の愛ですね。




クリスマスに姪っ子たちと遊んだのはまた別の記事にします。多分。




会社の忘年会もありました。お酒の席は難しいものです。お酒は人の理性を薄れさせ、良くない部分を治めている縄を緩めてしまいます。なぜ大人なのに暴力を振るうのでしょうか。自分を制することが出来ない程に飲むのは何故でしょうか。人は弱いものです。何が罪かを知らなければ自分を滅ぼす業に気づかないまま死に至る道を進んで行くのですね。背負った罪の重さでいびつに歪んだ自分の姿はどれほど醜いものでしょうか。



ガラテヤ人への手紙5章

5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
5:26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。



御言葉に解放される心地がします。主の教えは私たちを生かすものです。神様の前でどのような姿が望まれており、どのような行為が自分を、また他人をも生かすものとなるのかを聖書の御言葉から教わらなければ、私たちの人生の歩みはずいぶん不確かなものとなるでしょう。



主が私を導いてくださることは驚くべき恵みです。本当にありがたいことです。2013年もまた多くの成長の機会を与えてくださり神様の御声に耳を傾け励む一年でありますように。主の御名が全地で叫ばれる新年でありますように。出会うすべての方々に主の恵みを伝えることができますように。

鴨宮へ遊びに行く。

えーと。24日の土曜日に姪っ子と遊びにいきました。
妹はお仕事なので、おじちゃんと母と姪っ子上下。
バスで鴨宮のダイナシティ。

しゅっぱーつ。

姪「これ(めいっぱい背伸びした上の所ギリギリの降りますボタン)押せば良いの?」 
おじちゃん「そう。降りるところに来たら押そうね。」

バスぶるるるん。

姪「やっぱりこっち(めいっぱい前に手を伸ばしたギリギリのボタン)押すー」
おじちゃん「そう。じゃあそっち押そうね。」
・・・どっちも押しにくいです。微妙な席に座ってしまいましたね姪っ子ちゃん。

びみょうな



『つぎはダイナシティ・・・』ぴんぽーん。

後部座席の親子連れ、男の子が押した様子。

残念。姪っ子上ちゃんの笑顔がダイナシティ。

おじちゃん「帰りに押そうねー(帰りはバスを使いませんでした^^)」


ヨーカドーの方に向かいます。

途中のエスカレーターが難所でした。
姪っ子上のほうはスカレーターが怖いそうで「こわい!こわいー!」と渋ります。一緒にタイミングを計りながら載せてあげました。降りるのは問題なさそうですが、乗る時は大変そうで、上りも下りも怖がっています。姪っ子下は騒ぐ事無くするっと乗れます。





それからペットショップで犬猫小動物を愛でました。
はあ、かわいい。

ひぎ




ちょうど昼時だったのでヨーカドーのレストランで食事にしました。
お子様ランチって大人になるとものすごく魅力的に見えます。ハンバーグをちょっともらいました。ありがとう姪っ子上下。




ヨーカドーでは玄関ホールに大きなクリスマスツリーが飾ってあります。

姪っ子「おっきいー!」
おじちゃん「そうだね。おおきいねー。誰が飾り付けしたんだろうね。あのクリスマスツリーの上にある星は、と~っても大きな人がびよーんって手を伸ばして付けたのかもしれないねー」

・・・と夢のある光景を姪っ子上下に想像させておきました。
妹に怒られそうな予感がするので内緒でお願いします。





さて、マロニエに到着したものの、目的のラッコ広場はお休みでした。ここは滑り台などがあり、ちょっと走り回って遊べるスペースになっています・・・多分。中に入ったことがないんですよね。

以前、上の階でリトミックをした帰りかな、ここで子ども達がいっぱい遊んでいるのを見たんです。入り口には下駄箱があって、靴を脱いで自由に遊べるみたい。先生に聞いたら市内の子どもは誰でも遊んでいいそう。いつか姪っ子と遊びに来ようと思っていたのですが、また次回です。



というわけで、今度はシティモールに向かいました。郵便局の裏手の小道を抜けます。うちの母は裏通りを巡っていかに近道を見いだすかということに情熱を燃やす人のようで、私には分からない道を引率してくれました。

姪っ子の手を握りテクテク歩きながら、、いまどこを歩いているんだろう・・・と、若干、迷子の心持ちをしていたことは秘密です。





そして、シティモール。
遊キッズ愛ランド。

こども専用室内遊園地だそうです。
遊園地と言ってもコースターなどのアトラクションがあるわけではなく、マットなどをしいて子ども達が安全に遊べるように環境を整えた遊び部屋という感じです。

ボールプールとか、風船がいっぱいの部屋とか、トランポリンとか、くるくるまわるヤシの木にぶら下がるとか、、まあ、いろいろありました。

うちの姪っ子は上下ともあまり他の子どもと遊ぶ機会が無く、また運動が得意では無いため、おだやか~な感じでほのぼの遊びます。そのため、二人が遊んでいる所に他の子ども達が「ワ~ッ!」って近づいて遊び始めると、尻込みをしてしまうんですよね。特に姪っ子下が、「もういこう・・・」と引いてしまいます。

足こぎゴーカートで遊んでいても他の子達が集まってくると、落ち着かないらしく、コースわきで座って見ているおじちゃんの横に来て座り、ペタってくっついて不安気な顔をしています。

その様子を見ておじちゃんもちょっと不安な気持ちになってしまいます。
・・・この子は、、大丈夫だろうか・・・





姪っ子達のことを神様に祈ります。心も体も健やかであるように、学校にいってもよいお友達ができて仲良くできるように、愛し愛される人になりますように。




まあ、まだ人慣れしていないだけなのでしょう。引っ込み思案な性格もあるのかもしれませんし、ゆっくりと色々な機会を通して慣れていきましょうかね姪っ子ちゃん。



こんな感じの一日でした。




あ、姪っ子上がエスカレータに何度か乗っていくうちに慣れ始め「練習したい!」と燃えていました。ぐるぐる上り下りを繰り返し、おじちゃんと一緒だったらうまく乗れるようになってきました。ちなみに姪っ子下が一度上手く乗れずに転んでギャン泣き。


また、母が席を外した時に、「おしっこ~」と言われ連れて行ったのですがトイレ前で困りました。おじちゃんは女子トイレには入れないよ!

うーんどうしよ・・・これまで自分一人でこどもたちをみる機会が無かったのでこんな時にどうするのかを考えていませんでした。いい勉強です。

今回は身障者用のトイレを使わせていただきました。
あとで妹に聞いたら「男子トイレでもいいよ」との事。男性諸君、ご承知置きください。






帰りの電車で、姪っ子に質問しました。
おじちゃん「電車って何で動いているのか知っている?」
姪っ子上「うーん・・・」

おじちゃん「犬が100匹で引っ張っていたらどうしよう」
と、冗談を言ったら、姪っ子下がウケたようです。

姪っ子下「おじちゃん。もしも猫が100匹でひっぱってたらどうする?」
おじちゃん「にゃーにゃー楽しいね」

姪っ子下「おじちゃん。もしもうさぎが100匹でひっぱってたらどうする?」
おじちゃん「電車がぴょんぴょんはねちゃうね」

姪っ子下「おじちゃん。もしもライオンが100匹でひっぱってたらどうする?」
おじちゃん「がおーって強そうだね」

あとで電車は電気で動いているんですよと教えておきました。
妹に怒られるから。

うさでん



はい。以上「姪っ子とおじちゃん鴨宮編」でしたー
今回は写真ではなく、絵で楽しげな様子を描いてみました。。
ながら作業のやっつけ絵画ですので若干お見苦しい部分があるかと思いますがご容赦ください。

しかし、どうもこのブログは姪っ子登場率が高くなってきましたね。

しかたがありません。姪っ子たちとの交流は私にとって新鮮な体験ですから。貴重な思い出として印象が強いのです。



子であるすべてのみなさまが神様の愛によってすくすくと成長し、御国に行くその時まで、ともに父の背中を追いかけて歩んでいけますように。

友人へ。

友人からメールが来て、色々と大変そうでした。
何か携帯で送ろうとしましたが、何となくここに載せることにしました。

ちなみに、ふだんの一人称は「僕」です。
なぜブログでは「私」かって?
・・・・なんとなくそのほうがしっかりした大人に見えるかなあと・・・・。うん。
______________________



最近、出勤前にクリスチャン放送のCGNTVを見て、朝の聖書黙想の時間を持っています。いまはヨブ記からメッセージを頂いています。


ヨブは潔白で正しく、神様を恐れ悪から遠ざかっている信仰深い人でした。
神様はヨブを祝福し、富みにも家族にも恵まれました。

しかし、ある時、ヨブはすべてを失います。富も家族も健康も消え去ってしまいました。しばらくヨブは信仰をもって立ち続けていました。しかし悪性の腫瘍に蝕まれ遠くから見てヨブの姿が見分けられないようになり、ひどい痛みの中で過ごすうちに、ヨブは自分の生を呪うようになりました。

なぐさめに来た友人たちは、そのようなヨブに対して、いさめる言葉をかけます。
それがエスカレートしていき、ヨブの苦難を、ヨブ自身が犯した罪の結果であると断罪をはじめます。

彼らはヨブをなぐさめに来たはずなのに、痛み苦しむヨブに対して裁きの言葉を投げかけるのです。



ヨブは誠実でした。友人たちも信仰があり、神様の教えを守る人たちだったと思います。

慰めが欲しいときの叱責は心を引き裂くものです。

信仰ある友人でさえも、苦難にあった時の友に対して適切な言葉をかけられないことがあります
”神様に従うものには祝福があり、悪に走るものには滅びがある。”
それを信じているため、苦難にあう義人を見ても、隠れて罪を犯した結果だと判断してしまうんです。

しかし、実際にはそうとは言えないことがあります。悪者が繁栄し、義に生きるものが脅かされる世間に対して、ヨブは神様に疑問を投げかけています。ヨブは言います。

・・・自分は誠実に生きてきた。弱い立場にいるものを助け、労力を惜しまず、みなのために最善を尽くしてきた。困っているものを放っておいたことがあるか、助けを必要とするものに手を差し伸べなかったことがあるだろうか。自分がなぜこうも苦しみにあわなければならないのか、自分は正しく生きてきたではないか・・・

ヨブは自分の義を主張し続けました。それは神様を間違っていると断罪することに繋がります。


人間が自分の義を通そうとするとき、誰かが裁かれるかもしれません。
人々が自分たちの正しさを証明するためにイエス様を十字架にかけたようにです。

イエス様は神の子であるにもかかわらず、人の立場で裁きをうけられました。
しかし、イエス様は自分の命をも義とせず、神様の御心がなされるようにと、最期まで従順しました。



僕たちには苦難がありますし、すべて投げ出して終わらせてしまいたい叫びがあります。良い時は続きません。心の痛みを受けなくなることはありえないかもしれません。

辛いものです。

生きるだけなのに身も心も削れていくようです。

特に人に痛みを感じる時、死にたくなることがあります。
憎しみや悪感情が行き交う中にいると辛くて心から血が流れるようです。神様に早くこの命を取って欲しいと願います。



しかし、神様は正しいのです。

神様だけは正しく、必要な出来事を通して人を育て導き守られます。
僕たちの豊かさを奪われることがあるでしょう。人と繋がる思いを崩されることもあるでしょう。健やかな気持ちを汚されることもあるでしょう。できることなら避けたい出来事です。しかし、そのような荒れ果てた出来事、荒れ狂う波の中に神様の道が通っているということも時にはあるのです。

ヨブにはその後、別の友が語りかけます。「神のくすしいみわざを、じっと考えよ」

そして神様がヨブに語りかけます。・・・誰が世界を創造したのか、星々の動きを定めたのか、すべての生き物を育み、その営みを絶え間なく続けさせているのは誰か。誰も知らないところで新しい命を形作り、それに力を与えているのは誰か・・・「自分を義とするために私を罪にさだめるつもりか」

ヨブは自分の過ちを悟り、悔い改めてひれ伏します。「あなたにはすべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを知りました」と告白します。



神様はどんなことも出来ます。正しい人を苦難の中に生かすことも、悪人の栄えを見ることもできます。

その中にあって僕たちは苦しみますが、神様は正しく事を行っています。
信じることが無理だと思えて涙する僕たちを正しく取り扱ってくださいます。


自分を信じることは出来ません。他人を信じきることも難しいです。
ですが神様だけは信じて正しいお方です。

憎しみや悪感情の中、僕たちの希望は愛と憐れみの神様です。
義を成し遂げられる完全なお方が僕たちを導いてくださいます。

冷たい闇に負けないでいましょう。
ヨハネ1:5「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

たとえいま、苦難のまっただ中にいるとしても、非難の矢面に立っているとしても、絶望の縁で揺れ動いているとしても、それでも、光は闇の中に輝いています。

主が希望です。光の道は狭く険しいこともありますが、主が一緒に歩いていてくださいます。

詩編121
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。

主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」


祈れない時も大丈夫です。僕が祈っていますから。

主の平安があなたの上にありますように。


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